幕末の風雲児、坂本龍馬。彼は、日本全国を走り回り、足跡を残しています。
龍馬となじみの深い長崎には、彼が立ち寄ったであろう場所がいくつもあります。
龍馬の長崎での足跡をたどってみたいと思います。
今回は、長崎市内でもチョット離れた場所や長崎市外の龍馬ポイントを紹介します。
長崎製鉄所 幕府がつくった造船所
1864年、龍馬は勝海舟一行とともに長崎を訪問。外国艦隊による下関砲撃の回避の為に長崎に派遣されていましたが、その際長崎製鉄所も訪ねています。
製鉄所といっても、幕府は武器を作れるのではと期待していたんですが、実際は船の修理を行う造船所的な機能が多かったとの事です。
現在長崎製鉄所跡は、三菱造船長崎造船所となっており、水の浦町門の入り口に石碑があります。
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小管修船場 グラバーが手掛けた修船場
先年、世界遺産に登録された小管修船場。
新しもの好きの龍馬なら興味があったはず。
残念ながら、龍馬存命中は完成していなかった小管修船場。
しかし、グラバーとも交流があり、自身も船を運行する立場にあるので、当時出来ようとしていた修船場には興味があり、下見に一回ぐらいは言っているのでは?と思います。
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島原 龍馬上陸の地
1864年、龍馬は勝海舟一行とともに長崎を訪問。外国艦隊による下関砲撃の回避の為に長崎に派遣されていました。一行は大分佐賀関から九州を横断。熊本より有明海を渡り島原に上陸しています。
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上五島龍馬ゆかりの広場 ワイル・ウエル号遭難の地
薩摩が購入し、亀山社中が運航を任された洋式帆船「ワイル・ウエフ号」は、船籍の鹿児島へ向かう為に長崎を出港。長州藩の蒸気船「ユニオン号」曳航されていました。
「ユニオン号」は薩長同盟が成立し、第一回親善という事もあり、米500石を積載していました。
両船は、鹿児島県の甑島付近で暴風に遭い、「ユニオン号」の曳航策を切断。
そのまま上五島まで流され潮合埼にて座礁、沈没し、乗組員16名中12名が死亡する事故に。
当時龍馬は寺田屋事件の手傷の療養に鹿児島に居り、鹿児島から下関に向かう際に上五島に上陸。
土地の庄屋に自分で書いた碑文と金を渡し、供養碑を建てるようお願いしました。
現在上五島には、「ワイル・ウエフ号」の舵棒のレプリカと龍馬像が建立されています。
坂本龍馬のゆかりの地・番外長崎市外編!まとめ
今回は、長崎の市街地から少し離れた場所、長崎市外の場所を紹介しました。
長崎市街地の龍馬の足跡はこちらからどうぞ。
龍馬の長崎での足跡、他のエリアはこちらからどうぞ。
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