【八ツ橋訴訟】井筒と聖護院の裁判の争点は?世間の反応も調査してみた

京都土産と聞けば多くの人が「八ッ橋」を思い浮かべるのではないでしょうか。

様々な企業が抹茶味、イチゴ味などの八ツ橋や「生八ッ橋」を販売しており、京都を代表する名菓ですよね。

この八ッ橋の歴史を巡って、老舗八ッ橋メーカー井筒がライバル社の聖護院を相手に「創業年に根拠がなく虚偽である」と訴訟を起こしたものの「創業年が商品の品質などと結びついて消費者の行動を左右させる事情とは言えない」とされ、敗訴したことが話題となっています。

実はこの訴訟、2018年6月に起こされたものなのですが、古くから確執が続いていたようです。

そこで今回は井筒と聖護院の裁判について調べてみました。

 



井筒と聖護院の裁判について

今回の井筒と聖護院の裁判について紹介していきます。

京名菓八ッ橋工業協同組合 VS 聖護院

聖護院を除いた八橋検校の箏に似せた焼き菓子をルーツとする楽器説派で構成される「京名菓八ッ橋工業協同組合」は2017年に聖護院に対し訴訟を起こしています。

訴訟の内容としては、

  • 「証拠は何もないのに創業を元禄2年(1689年)とし、八ッ橋を最初に創作し、販売し始めたのが聖護院であるかのような、顧客を誤認させるような表示をしている」
  • 「根拠のない情報が外国人観光客を通じて世界に拡散されてしまう」

として当該表示の取りやめを求めて民事調停の申し立てをしました。

しかし聖護院側は証拠もない申し立てであるとして調停打ち切りを主張し、調停不成立となりました。

井筒と聖護院の裁判の行方は?

調停が不成立となってしまったため、井筒は単独で提訴することにしました。

しかし、そもそも八ッ橋の起源には諸説あり、そのことについて虚偽の表示だとして八ッ橋の信頼が損なわれたとはいえない、と井筒の訴えは退けられました。

訴えた井筒の代表取締役の津田佐兵衛氏は、かねてから聖護院の行動をよく思っていなかったようです。

たしかに聖護院の歴史を紐解いてみてみると、西尾家の恩恵を受けていることは明らかで、その恩を仇で返すような行動をしているようにも見受けられます。
また、西尾家は三河の国の八橋をルーツとする「三河の橋説」を唱えているにも関わらず、西尾家から出た聖護院が「楽器説」を唱えているのかは疑問です。

八ッ橋の元祖とされる本家西尾八ッ橋、本家八ッ橋が創業1689年としており、法律に則って聖護院の経営権が西尾為治氏から鈴鹿太郎氏に移ったと考えると、聖護院の創業1689年を虚偽とするのは難しいかもしれませんね。



八ツ橋の起源

この裁判には、八ツ橋のルーツから長年の根深い確執も絡んでいるように思えます。

まずは八ツ橋のルーツとなる起源を紹介します。

八ッ橋の起源には「楽器説」と「三河の橋説」の2つの説があります。

楽器説

「楽器説」では1685年に没した箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校の箏に似せた焼き菓子を八橋検校のお墓参りにやってくる検校の弟子たちに販売したことを起源としています。

三河の橋説

「三河の橋説」では「伊勢物語」第9段かきつばたの舞台である三河の国の八橋にちなんで、8つの橋板に似せた焼き菓子を作ったことを起源としています。

八ッ橋業者の派閥は?

京都の八ッ橋業者の団体「京都八ッ橋商工業協同組合」には14社が加盟しており、井筒、聖護院を含めた6社が「楽器説」派であるのに対し、本家西尾八ッ橋らは「三河の橋説」を唱えています。

さらに聖護院を除いた楽器説派が「京名菓八ッ橋工業協同組合」を結成しています。



八ツ橋をめぐる確執

江戸時代から続く八ツ橋の歴史の中で、これまでにも沢山の争いがあったので紹介します。

長年の確執の源である西尾家と聖護院の生い立ちから紹介していきます。

聖護院と同じく「創業1689年」としている本家西尾八ッ橋ですが、実はこの本家西尾八ッ橋こそが聖護院の生みの親なのです。

本家西尾八ッ橋の歴史

1689年に三河国知立市八ッ橋村の寺の僧から八ッ橋の製造の秘伝を授けられ、
その後、聖護院の森の熊野神社門前にて「八ッ橋屋梅林茶店」を開きました。

12代目の西尾為治氏が明治時代から昭和初期にかけて八ッ橋を国内外の博覧会に出品し、数々の入賞を果たしました。
また、京都駅での八ッ橋立ち売りが評判を呼び、八ッ橋の名を全国に広げたことで西尾為治氏の八ッ橋普及の功績が評価され、八ッ橋の中興の祖と称えられています。

当時、西尾為治氏は「玄鶴軒」の屋号で八ッ橋の製造販売を行っていましたが、1926年に法人化をして「株式会社聖護院八ッ橋総本店」を設立しました。
しかし会社設立から数か月で経営危機に陥り、1930年に西尾為治氏は個人破産へと追い込まれました。
その経営権は同社の専務であった鈴鹿太郎氏が握ることとなり、現在も鈴鹿太郎氏の孫である鈴鹿且久氏が代表取締役社長を務めています。

西尾為治氏の長男・為一氏も会社に残ることはできなかったため、井筒をはじめとする同業他社が西尾家に同情していたようです。

自らが出資して設立した会社を追い出されることになるとは気の毒ですよね。

西尾 VS 聖護院

その後、西尾為治氏と共に会社を去った長男・為一氏の聖護院への反撃が始まります。

1947年に西尾為一氏が個人で八ッ橋の製造販売を開始し、1952年に「本家八ッ橋聖護院西尾」として法人化しました。
これに対して聖護院は「本家八ッ橋聖護院西尾」を提訴し、「本家聖護院」、「聖護院」、「創業二百何十年」などの文字を使用しないことを誓約させることで和解が成立しました。

こうして「本家八ッ橋聖護院西尾」から現在の社名「本家西尾八ッ橋」へと変更されたのですが、西尾家が自社のルーツであると知りながらも「創業二百何十年」の文字の使用を禁じるとは、恩を仇で返すとはまさにこのことですね。

先祖代々継いできた八ッ橋の歴史が他人のものになってしまうとは、とても無念だったのではないでしょうか。

しかし1969年に京都府が京都府開庁100年を記念して、本家西尾八ッ橋を創業100年を超える唯一の八ッ橋業者として表彰しました。
このことについて聖護院は同業他社に配布した冊子の中で不満を訴えています。

わざわざ書面にしてまで同業他社に不満をぶつけるとは、相当な確執があったのでしょうね。

聖護院、本家西尾八ッ橋のほか、「本家八ッ橋」も創業1689年としています。
しかし「本家八ッ橋」の設立者は八ッ橋の普及に努めた西尾為治氏の三男であるため、井筒は聖護院のみ提訴しました。



世間の反応は?

八ッ橋業界で起きた仲間内での訴訟問題ですが、世間はどう捉えているのでしょうか。

↓京都人らしい争いというツイート

↓お互いに協力し合えば・・・というツイート

↓京都の名を汚したというツイート

↓井筒からは買わないというツイート

↓聖護院が一番好きというツイート

↓味とデザインで勝負というツイート

↓適当な創業年書いていいの?というツイート

↓昔の事はどうでも良いというツイート

同じ地域の同業社でありながらなぜ協力し合わないのか、創業年よりも味で勝負してほしいなど、訴訟に発展したことをマイナスに捉えている人が多いようですね。



【八ツ橋訴訟】まとめ

この八ッ橋のルーツを巡る訴訟は創業年だけの問題ではなく、聖護院と業界他社との間に深い溝があり、感情的な対立であるように感じられますね。

聖護院のホームページには創立者である西尾為治氏についての記載はないものの、聖護院設立前の「玄鶴軒」時代の功績は記載されており、現本店の場所にて販売を始めたとしています。
一方の「本家西尾八ッ橋」も「本家八ッ橋」も西尾為治氏の功績をホームページに記載しています。
これこそ消費者は一体どのお店が八ッ橋発祥のお店なのか分からなくなるのではないでしょうか。

たしかに「最古」というワードは観光客を惹きつけるので、メーカー各社が使いたいのも納得です。
しかし、仲間内での喧嘩のような訴訟は、八ッ橋だけでなく京都のイメージ悪化にもつながるのではないでしょうか。

京都に思いを馳せて楽しむべき八ッ橋を、仲間内の喧嘩を思いながら味わいたくないですよね。
業界間で協力して京都のイメージアップに取り組む必要があるかもしれませんね



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